コピーライター
2019年06月11日
少なからず転職をしてきた私ですが、
その都度きちんと向き合い、自分なりにジャッジをしてきたつもりです。
そのすべてが今の私を作り、人生に厚みを持たせてくれていると思います。
岐阜県で生まれ育ち、高校卒業とともに上京。
1
東京の大学で食物科学を専攻。
⇒料理雑誌の編集者になりたかったから。
◎「食」に関する知識や仲間など、4年間で得たものはとても大きかった。
2
卒業後、大学の先生のつてで、東京の編集プロダクションに就職
⇒すぐにでも編集のノウハウを身につけたかったから。
⇒料理や子ども向け媒体を得意としてるプロダクションだったから。
◎編集のノウハウだけでなく、本づくりへの姿勢や誠意を学んだ。
◎文字通り24時間仕事をしていた3年間のおかげで、
それ以後の苦労をあまり苦労に感じなくなった。
3
3年後、出版社に転職
⇒編プロの特性上、版元の担当者が気に入る記事を作ってしまうが、読者のための記事作りをしたくなった。
⇒編集だけでなく、販売、広告営業など、本や雑誌をめぐる様々な側面を学びたくなった。
◎全国誌の創刊という貴重な体験をできた。
◎全国誌でないとできない記事制作に多く携わることができた。
◎一流の人と仕事をすることで、その仕事ぶりや姿勢、謙虚さに圧倒された。
◎「売れる」「売れない」の本当の意味を知った。
4
グルメサイト運営会社に転職
⇒これからの時代、Webを経験しておくことが重要では?と感じた。
⇒声をかけてもらい、タイミングやご縁を大切にしたいと思った。
⇒「食」に特化した記事づくり、新企画立ち上げにそそられた。
◎新しいことにどんどんチャレンジさせてもらった
◎愉快で有能な仲間に出会った
◎広告営業の辛辣さを知った
ここから、地元に戻るのですが、
私の経歴、長いなー。
https://himarino.jp/
続きます。
その都度きちんと向き合い、自分なりにジャッジをしてきたつもりです。
そのすべてが今の私を作り、人生に厚みを持たせてくれていると思います。
岐阜県で生まれ育ち、高校卒業とともに上京。
1
東京の大学で食物科学を専攻。
⇒料理雑誌の編集者になりたかったから。
◎「食」に関する知識や仲間など、4年間で得たものはとても大きかった。
2
卒業後、大学の先生のつてで、東京の編集プロダクションに就職
⇒すぐにでも編集のノウハウを身につけたかったから。
⇒料理や子ども向け媒体を得意としてるプロダクションだったから。
◎編集のノウハウだけでなく、本づくりへの姿勢や誠意を学んだ。
◎文字通り24時間仕事をしていた3年間のおかげで、
それ以後の苦労をあまり苦労に感じなくなった。
3
3年後、出版社に転職
⇒編プロの特性上、版元の担当者が気に入る記事を作ってしまうが、読者のための記事作りをしたくなった。
⇒編集だけでなく、販売、広告営業など、本や雑誌をめぐる様々な側面を学びたくなった。
◎全国誌の創刊という貴重な体験をできた。
◎全国誌でないとできない記事制作に多く携わることができた。
◎一流の人と仕事をすることで、その仕事ぶりや姿勢、謙虚さに圧倒された。
◎「売れる」「売れない」の本当の意味を知った。
4
グルメサイト運営会社に転職
⇒これからの時代、Webを経験しておくことが重要では?と感じた。
⇒声をかけてもらい、タイミングやご縁を大切にしたいと思った。
⇒「食」に特化した記事づくり、新企画立ち上げにそそられた。
◎新しいことにどんどんチャレンジさせてもらった
◎愉快で有能な仲間に出会った
◎広告営業の辛辣さを知った
ここから、地元に戻るのですが、
私の経歴、長いなー。
https://himarino.jp/
続きます。
(10:50)
ずっと、会社員でいると思っていました。
親戚一同、会社員か公務員か教員かという家庭で育ちました。
不安定な夫と育ち盛りの子どもたちを抱えて、
私だけは安定した会社員でいなくては、と思っていました。
「企業」というバックボーンがなくては楽しい(大きい?)仕事ができないのでは?という
思いもありました。
けれど、
夫が不安定だからこそ、思い切って任せてみる。
育ち盛りの子どもに、生き生きと働く姿を見せたい。
「企業」というしがらみにとらわれないで、自分らしい仕事に挑戦してみる。
読者、クライアント、クライアントのお客様…本当に寄り添うべき人を大切にする仕事をしたい。
そんな思いから、アラフォーになってからの独立を決意しました。
編集プロダクション、出版社、サイト運営会社、総合広告代理店を経て
令和元年6月、
名古屋の地で
フリーランスとしてスタートすることを決めました。
https://himarino.jp/
親戚一同、会社員か公務員か教員かという家庭で育ちました。
不安定な夫と育ち盛りの子どもたちを抱えて、
私だけは安定した会社員でいなくては、と思っていました。
「企業」というバックボーンがなくては楽しい(大きい?)仕事ができないのでは?という
思いもありました。
けれど、
夫が不安定だからこそ、思い切って任せてみる。
育ち盛りの子どもに、生き生きと働く姿を見せたい。
「企業」というしがらみにとらわれないで、自分らしい仕事に挑戦してみる。
読者、クライアント、クライアントのお客様…本当に寄り添うべき人を大切にする仕事をしたい。
そんな思いから、アラフォーになってからの独立を決意しました。
編集プロダクション、出版社、サイト運営会社、総合広告代理店を経て
令和元年6月、
名古屋の地で
フリーランスとしてスタートすることを決めました。
https://himarino.jp/
(10:29)