2019年06月24日

一人で細々と始めたフリーライター業ですが、
なんと、Webサイトがあります(簡単なものですが)。

いるのかな?と、屋号同様に思いましたが、
「初めて仕事を依頼するのに、Webで情報を拾ったり
 コンタクトが取りやすかったりって、大事じゃない?」と言われて決意。
作ってもらってみると、自己紹介が非常に簡単に済み、便利だなと思いました。

https://himarino.jp

Web屋の夫君の昔からの後輩が、寝る間を惜しんで「ご褒美」程度で作ってくれました(涙)。
ありがたいなー。

会社にいたら当たり前のように出来上がってきた名刺やサイトも
一人では簡単じゃない。
人の気持ちや御恩を、しみじみありがたいを思います。

それは、仕事を発注してくれたり、クライアントを紹介してくれたり
そういうお仕事仲間にも感じます。

次は少しずついただくお仕事の依頼について書きます。

(14:03)

2019年06月17日

独立するにあたってのToDoの中に
「屋号を考える」というのがありました。←他人事・笑

これまでお付き合いのあったフリーランスの方で、
カメラマンとデザイナーはほぼ100%屋号やスタジオ名がありました。
ライター・エディターさんは半々。
法人にするわけでなし、大々的に営業して仕事をいただこうとしているわけでなし、
私の場合、いるのかしら?と
そこから悩みました。←ヒマか!

まー、結果、名刺にもごあいさつ状にもSNSにも、
何かとアイキャッチになってよかろうと、つけることにしました。

昔からのあだ名でもよかったかもしれません。
なんとか制作所 みたいに、何をやっているのかわかりやすいものでもよかったかもしれません。

「HIMARINOーヒマリノー」としたのに、いくつか理由をこじつけるとすれば
・私のお誕生花がヒマワリで、昔から何かとメンタルが太陽に影響を受けている
・陽だまりのようなあたたかな、人の体温を感じるクリエイティブを目指したい
・わが子の頭文字を1つずつ入れたい←母としての感覚を大事に仕事をしたい
・将来、何かしらのコミュニティを作りたいと考えていて、その名にも使いやすい
というようなことでしょうか。

お仕事仲間のデザイナーさんが、かなりイレギュラーに破格に引き受け、
とてもすてきなロゴを作ってくれました。
これだけでかなりテンション↑↑
大事にしよう。ありがとう。

屋号と名刺が揃ったところで、一気に進むか!?と思いましたが、
ToDoの中に「簡単なサイトを作る」が残っておりました。大事やね。
このアナログ人間には無理…かと思われましたが、夫君がWeb屋でした。ラッキー☆

(10:36)

2019年06月13日

ここで、家庭の事情で地元(名古屋圏)にもどることになりました。

それまで、マス媒体だけを手掛けてきた。
名古屋圏で思い浮かぶ媒体は学生?OLさん?向けのローカル情報誌2つのみ。
ちょっと、今から情報誌の取材で駆け回るのは、年齢的にも気持ち的にも無理かも…

などと思い、編集者としての行き詰まりを感じました。

行きついた先は、とても狭い地域ごとに情報誌を発行している
地方の広告代理店でした。


地方の総合広告代理店に、地域誌(フリー)の編集として入社
⇒生まれ育った地元のいいところをニッチに発掘していこうという気持ち
⇒かなり時代遅れ(?)な媒体が多かったので、コンテンツやデザインの面で
 私の出番があるのではないか?という期待

最終的にこれが最終職歴になります。
編集課に在籍中は、ローカル誌の企画、読み物の取材執筆を中心に、
東海三県にかなり詳しくなりました。
1人目の産休復帰後は編集課から出されて企画課に。
ライターでもエディターでもなくなり、プランナーとして0からの出発。
マタハラか。イジメか。とクサクサもしましたが(苦笑)、
元編集者のプランナーとして重宝してもらいました。
2人目の産休復帰後も、変わらず戦力として迎えてもらえました。

企画課は、広告代理店らしい仕事をさせてもらいました。
企業や行政の冊子・カタログ・会報誌などの提案・制作、
広報戦略の立案、
自社媒体の開発
……
勝った負けたの勝負心、
自分の得意不得意を見せつけられる敗北感、
本当にいろいろな経験をさせてもらえた4年間。

新店舗や新商品のPR戦略提案案件は、さすがに経験がなさ過ぎて途方にくれましたが、
それでも、やってやれないことはない!と猛勉強のチャンスとなりました。
これ、本当に貴重でありがたかったと心底思います。

クライアントと目標を同じくして並走しながら客観的に提案する視点を学び、
「物を売るためのクリエイティブ」という新たなモノづくりを知りました。

「私にはこれができます」の幅が広がり、
ほんの少しだけ、フリーランスとしてやっていこうという決意を後押ししてくれたように思います。

さて、令和元年6月。
HIMARINOという屋号を掲げ(その意味は次回)、
自分個人に何ができるのか、どこまでできるのか、挑戦が始まりました。

https://himarino.jp



(14:25)